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カヌーのみち

地球上の淡水の2分の1はカナダに存在すると言われる。
それくらいカナダには川や湖が多い。詳細な地図を開いて見れば、川や湖の多さに驚くことだろう。数え切れない位の川や湖が、まるで迷路のようにカナダ中に広がっている。
これらの水路を繋いでいくと、カヌーでカナダ中ほとんどの所へ行くことが可能である。
もちろん、途中滝があったり、分水嶺を超えるときなどは、ポーテージ(陸上移動)が必要である。

歴史

1600年代初頭、フランス人シャンプレーンによって、ケベックに本格的な植民地が建設される。シャンプレーンは周辺のモンターネ族、アルゴンキン族、ヒューロン族と同盟関係を結ぶ。しかし、南部のイロコイ族とは敵対することになる。
1615年頃には、宣教師達がセントローレンス地方からヒューロン湖の辺りに入ってくる。おそらく、モントリオールからオタワ川を遡り、ニピシング湖を通ってジョージア湾へ抜けるルートを取ったであろう。 このルートは、1615年にシャンプレーンが始めて探検したルートであり、その後の毛皮取引における主要ルートである。

1639年には、ヨーロッパ人最初のコミュニティーとなるスーセントメリーを築いた。
1649、イロコイ族がヒューロン族を打ち破り、孤立したフランス人の毛皮商人達は取引範囲を更に西部へと拡大していった。
1670年、ハドソン湾会社が設立され、ハドソン湾岸及びジェームズ湾岸に多くの駐在所が作られ、そこを起点に川を遡り毛皮取引の範囲を拡大していった。

1760年、イギリスがニューフランスを破った後、毛皮取引の範囲はカナダ北西部へと更に拡大していく。
1779年、ノースウエスト会社設立。ハドソン湾会社と競って毛皮取引を拡大していく。奥地への進出は探検を伴ったものであり、マッケンジーやトンプソンらの探検もこの頃である。
1821年、ハドソン湾会社がノースウエスト会社を吸収合併し、カナダ全域の毛皮取引を支配することになる。

「新大陸探検の歴史」のページもご覧下さい。


カナダ東部

各地で集められた毛皮はモントリオールに集められ、ヨーロッパに向けて船積みされる。
モントリオールからは、オタワ川を行くルートとセントローレンス川を行くルートがある。オタワ川を遡ると途中滝がありまずそこをポーテージしなければならない。そして、支流に入りニピシング湖に行く途中もう1ヶ所ポーテージしなければならない。
セントローレンス川を行くルートはオンタリオ湖とエリー湖の間にナイアガラ滝という最大の難所がある。ポーテージはここ1ヶ所であるが、西に向かうのにはオタワ川を行くルートに比べてかなり大回りになる。

エリー湖、ヒューロン湖、ミシガン湖、スペリオル湖は途中障害がなく、自由に航行できる。
ミシガン湖からは、イリノイ川やウィスコンシン川を伝ってミシシッピ川に出ることが出来た。

スペリオル湖からは、ミシシッピ川に出ることもできたし、遠くカナダ北西部に繋がるルートの入り口でもあった。
オタワ川ルートからジョージア湾に出ると、そのまま岸に沿って西進しスペリオル湖に入る。スペリオル湖に入ると岸に沿って北を行くルートと南を行くルートに分かれる。北岸を行くとニピゴン川からニピゴン湖に入り西進してウィニペグ湖に至る。
もう一つフォートカミニスティキアの辺りからウッズ湖を通って(現在のアメリカ−カナダの国境線に沿っている)ウィニペグ湖に至るルートもある。

また、ジェームズ湾に注ぐオールバニ川やムース川の上流でもポーテージすればスペリオル湖やオタワ川に入ることが出来たと考えられる。

カナダ東部のカヌーのみち


カナダ北西部

カナダ北西部の地図 ハドソン湾には多くの川が流入しているが、その多くは遡れば内陸奥地へ行くことが出来た。そのため、河口や川沿いにハドソン湾会社の交易所が多く置かれた。
ヘイズ川、セバーン川を遡るとウィニペグ湖に行くことが出来る。
ウィニペグ湖から北へは、レーンディア湖、アサバスカ湖、グレートスレーブ湖、マッケンジー川を経て北極海まで繋がっている。
グレートスレーブ湖岸やマッケンジー川沿いには、ハドソン湾会社とノースウエスト会社の交易所が多く作られた。

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