ホーム アーカイブ カヌーの歴史北アメリカインディアンとカヌー

title

新大陸探検の歴史

新大陸にカヌーは遥か昔から存在していたが、その存在が外に知られるようになったのはもちろん新大陸発見の後である。
カヌーがヨーロッパ人といつ頃いかにして接するようになったのか興味が湧くところだ。
そして、文字を持つヨーロッパ人によって始めてカヌーの詳細な情報が記録され現在まで残されている。
なぜヨーロッパ人のカヌーについての記録が重要なのかというと、北米のネイティブアメリカン達の多くは文字を持たなかったので、彼らによる記録が残されていないからである。
その上、木製のカヌーは保存が利かずすぐに腐って土に戻ってしまう。 そういったわけで、当時のカヌーの様子を知るにはヨーロッパ人の残した記録を辿るしかない。

ここでは主に北米の探検について紹介する。
ヨーロッパ人がいつ頃いかにしてカヌーと接するようになったか分かるだろう。
そして、多くの探検家は未知の大陸での探検にバークカヌーを使用したことは間違いないだろう。
また後半には詳細な情報も記した。

新大陸探検年表



世界の出来事
986赤毛のエリック(ノルマン人)グリーンランド発見
1000レイフ・エリクソン北米沿岸を発見
1492-98クリストファー・コロンブス(イタリア)西インド諸島に到達
1497-98ジョン・カボット(イングランド)ニューファンドランド発見
1497-98ヴァスコ・ダ・ガマ(ポルトガル)喜望峰を回るインド航路発見
1501アメリゴ・ベスプッチ(イタリア)ブラジル、アルゼンチン沿岸を航海。
1513バスコ・ヌニェス・デ・バルボア(スペイン)太平洋を発見
1518-23コルテス(スペイン)メキシコを探検
1519-22フェルディナンド・マゼラン(ポルトガル)世界一周を成し遂げる
1524ヴェラツァーノ(フィレンツェ)北米大西洋岸を探検
1524-26フランシスコ・ピサロ(スペイン)2度にわたりインカ帝国を探検
1532-38コルテス(スペイン)カリフォルニア地方を探検
1534-41ジャック・カルティエ(フランス)セントローレンス川地域を探検
1539エルナンド・デ・ソト(スペイン)北米内陸部を探検
1541コロナド(スペイン)コロラド高原を探検
1576マーティン・フロビッシャー(イギリス)北西航路探検
1583ラーレイ(イギリス)北米東岸を探検
1585-88デービス(イギリス)北西航路探検
1603-15サミュエル・デ・シャンプレーン(フランス)
ケベックに植民地を開き、五大湖地方を探検
1600 関ヶ原の戦い
1609-11ヘンリー・ハドソン(イギリス)北米東岸やハドソン湾を探検
1612バットン ハドソン湾を探検
1614バフィン(イギリス)北西航路探検
1614ギボンス(イギリス)北西航路探検
1615バイロット(イギリス)ランカスター海峡発見
1620メイフラワー号がニューイングランドに着く
1634ジャン・ニコレ(フランス)ミシガン湖発見
1654-60グロゼイエとラディソン(フランス)大湖地方探検
1673-74ジョリエとマルケット(フランス)ミシシッピ川探検
1670ハドソン湾会社設立
1679-89ラ・サール(フランス)
五大湖地方やミシシッピ地方探検
1690-92ヘンリー・ケルシー(イギリス)カナダ西部探検
1731-43ラ・ベレントリー(フランス)北米西部を探検
1732フェドロフ(ロシア)ベーリング海峡を渡ってアラスカに上陸
1754アンソニー・ヘンディー(イギリス)カナダ内陸部探検
1767-69ウィリアム・トミスン(スコットランド)カナダ内陸部探検
1770-72サミュエル・ハーン(イギリス)ハドソン湾から陸路北極海沿岸に出る
1772マシュー・コッキング(イギリス)カナダ内陸部探検1776 アメリカ13州独立
1778ピーター・ポンド(アメリカ)カナダ内陸部探検
1789-93アレクサンダー・マッケンジー(スコットランド)
マッケンジー川発見。北米大陸を横断太平洋に出る
1789 フランス革命
1792-94バン・クーバー(イギリス)太平洋岸を測量バンデフカ海峡発見
1797-18デビッド・トンプソン(イギリス)カナダの大部分を探検した
1804-05ルイスとクラーク(アメリカ)ミズーリ川を遡り西部を探検
1819-25フランクリン(イギリス)二度にわたり、アラスカ、カナダ北極海沿岸を探検

解説

■レイフ・エリクソン Leif Eriksson
グリーンランドを発見した赤毛のエリックの息子。ヨーロッパ人として始めて北米大陸に上陸した。
35人の乗組員と共に今のニューファンドランド島の北端に上陸し、その地をヴィンランド(ワインの地)と名付けて短期間だが植民地を築いた。それはコロンブスの航海より500年も前のことである。

■クリストファー・コロンブス Christopher Columbus (1451-1506)
1492年10月12日バハマ諸島に到着した。その後2度にわたる航海で、ジャマイカや南米沿岸を発見した。
しかし、当の本人はそれをインドの一部であると信じ、死ぬまで新大陸の発見に気が付かなかった。

■ジョン・カボット John Cabot (1450頃-1499)
コロンブスとは別に西回りのアジア航路の存在を確信していた。イングランドの支援を受けて、1496年に出帆するが失敗、翌1497年再度挑戦し新大陸を発見した。
正確な上陸地点は不明だが、さらにノバスコシアからニューファンドランドの海岸線を探索した。
98年再度アジアを目指し航海に出るが、詳細は不明である。
カボットもまたコロンブスと同様に発見した土地がアジアの一部だと信じていた。

■アメリゴ・ベスプッチ Amerigo Vespucci (1454-1512)
フィレンツェ出身。コロンブスとは仕事仲間で友人であった。1501年の2度目の航海でブラジル沿岸を探検。コロンブスが発見したのはアジア大陸ではなく「新大陸」だと主張した。彼の主張により、地理学者マルティン・ヴァルトゼーミューラーは新大陸を「アメリゴの地、すなわちアメリカ」と名付けるよう提案した。

■フェルディナンド・マゼラン Feldinand Magellan
マゼラン本人はフィリピンで原住民に殺されているので、厳密に言えば世界一周を成し遂げたとは言えない。出発時3隻だった船だが、無事にスペインに帰着したのは1隻、無事に帰った船員は出発時の1割にも満たない僅か18人であった。

■ヴェラツァーノ Giovanni da Verrazzano (1485?-1528?)
1524年と28年、2度の航海を行った。ニューイングランド地域の大西洋沿岸を探索した。2回目の航海で行方不明になったため詳細は不明である。

■ジャック・カルティエ Jacques Cartier (1491-1557)
1534年フランスとしては始めてのアジア新航路発見計画に隊長として起用されセントローレンス湾周辺を探検した。
1535-36年に渡り、第2次遠征を指揮しニューファンドランドが島であることを確認した。そして、ヨーロッパ人として始めてセント・ローレンス川を遡りモントリオールまで達し越冬した。
41年には、カナダ植民計画に参加したがうまく行かず、その後シャンプレーンの時代まで植民計画は放棄された。

■エルナンド・デ・ソト Hernando de Soto (1499?-1542)
コンキスタドール(征服者)と言われる。パナマ、ニカラグア、ペルーを征服。
1539年フロリダに上陸し以後3年間あてもなくアメリカ南部をさまよいミシシッピ川のほとりで没した。

■サミュエル・デ・シャンプレーン  (1570頃-1635)
「ニューフランス植民地の祖」と呼ばれる。
1603年に始めてカナダに渡って以来、20年以上にわたり20回以上も大西洋を往復している。1603年には、原住民からの聞き取り調査により五大湖周辺の地理を明らかにした。
1605年セントローレンス湾からコッド岬辺りまで南下し、ニューイングランド地域の正確な地図を始めて作った。
1608年、現在のケベック市に本格的なフランス植民地を築いた。その後オタワ川からヒューロン湖に抜けるルートを開いた。このルートは、後の毛皮取引の主要ルートの一つになった。
1609年ヨーロッパ人として始めてシャンプレーン湖を発見し、彼の名が残っている。1615年には、原住民の生活様式に関しての最古の報告書を作成した。
彼は「蛮族のカヌーに乗れば、誰でも自由に旅が出来る。」と書いている。

■ヘンリー・ハドソン Henry Hudson (1550頃〜1611)
彼は北米大陸を抜けてアジアに達する北西航路を発見しようと4度にわたる航海を行ったが、その願いは叶わなかった。最初の航海は1607年で、ジャンメイヤン島を発見した。続く1608年スピッツベルゲンとノバヤゼムリヤ間の中国航路を探索。1609年、北米東岸を探検しハドソン湾からハドソン川を遡りオールバニの辺りまで探索した。
1610-11年の航海でハドソン海峡からハドソン湾に達したが、食糧不足から隊員間に不和を生じ、息子や仲間7名と共にボートに強制移乗させられ、漂流、消息不明となっている。

■ジャン・ニコレ Jean Nicollet (1598?-1642)
1618年新大陸に渡る。1634年、シャンプレーンの指示により太平洋に通じる航路を探して大湖地方を探検した。ミシガン湖、フォックス川を発見した。後の旅で溺死した。

■グロゼイエ、メダール・シュアール、シュール・デ Groseilliers,Medard Chouart,Sieur des (1632?-1710)
 ピエール・エスプリ・ラディソン Pierre Esprit Radisson (1630?-1710)

この2人は義理の兄弟で仕事仲間であった。
1654-56年にかけてと1659-60年にミシガン湖、スペリオル湖からミネソタ辺りを探検した。

■ルイ・ジョリエ Louis Jolliet (1645-1700)
カナダ生まれの探検家。1673年、ジャック・マルケットと共にミシシッピ川を発見し、アーカンソー川との合流地点の辺りまで下った。これによりミシシッピ川は太平洋には流れておらずメキシコ湾に注ぐことが分かった。
■ジャック・マルケット Jacques Marquette (1637-75)
フランス人のイエズス会修道士。1666年、アメリカに渡りオタワ族の住むスペリオル湖畔で宣教活動に従事した。1673年にルイ・ジョリエとともにミシシッピ川を探検した。

■ハドソン湾会社 Hudson's Bay Company (HBC)
17世紀から19世紀後半に至るまで、カナダの毛皮取引を独占したイギリスの特許会社。正式名は「ハドソン湾に於いて通商に従事するイギリス冒険家達と総督」と言う。18世紀後半から積極的に内陸奥地へ進出していった。1821年ノースウエスト会社を吸収合併した。
奥地への進出には、カヌーは欠かせないものであった。また、毛皮を大量に運ぶために巨大なカヌー(ファー・トレード・カヌー)も作られた。
驚くことに300年以上経った現在も存続している。
ホームページでは300年以上にわたる会社の歴史など詳しく知ることができる。
http://www.hbc.com/english.asp

■ラ・サール La Salle (1643-87)
1667年に始めてカナダに渡る。69年セントローレンス川、オハイオ川付近を探検。79年カヌーと徒歩でエリー、ヒューロン、ミシガン湖付近を探検。
82年カヌーでミシガン湖からイリノイ川を通ってミシシッピ川を下り河口まで達した。彼は、この広大なミシシッピ川流域をルイ14世にちなんで「ルイジアナ」と名付けフランス領と宣言した。
83年フランスに帰国後総督に選ばれ、ルイジアナ植民地を開拓しようとする。84年400人の部下と共にフランスを出帆、メキシコ湾からルイジアナに上陸しようとするがミシシッピを600キロも行き過ぎてしまい、迷ったあげくテキサスに上陸し、徒歩でミシシッピを目指すが途中部下の反乱に合い殺害された。

■ヘンリー・ケルシー Henry Kelsy (1670?-1729)
1690-92年にかけて、クリー族インディアンと共にカナダ西部大平原地帯を探検した。サスカチュワン川とレッドリバーを超えてヨーロッパ人として始めてこの地に入っている。

■ノースウエスト会社 North West Company
18世紀後半から19世紀前半にかけて、カナダで勢威をふるった毛皮交易会社。
ノースウエスト会社には、アレクサンダー・マッケンジー、デビッド・トンプソン、シモン・フレーザーらの優秀な探検家が大勢いた。
最大のライバル会社であるハドソン湾会社とは事あるごとに衝突し、1816年にはセブンオークスの虐殺事件を引き起こした。その後1821年にハドソン湾会社に吸収合併されノースウエスト会社の名は消滅した。

■アンソニー・ヘンディー Anthony Hendey
ハドソン湾会社社員。1754から55にかけて、ヨークフォートから南西に向けて探検した。クリー族と共に旅した。サスカチュワン川上流からロッキー山脈まで探検した。62年には仕事から退いた。

■ウィリアム・トミスン William Tomison (1739?-1829)
1760年ハドソン湾会社入社。ヨークフォート、フォートセバーンに配置された。
1767年の探検ではウィニペグ湖の東岸を、1769年には南下してマニトバ湖の西部を探検した。

■サミュエル・ハーン Samuel Hearne (1745-92)
1766年ハドソン湾会社へ入社。1770年チペワイヤン族のインディアンの案内でコパーマイン川河口に到達。これによって、航行可能な北西航路が存在しないことが明らかになった。1774年ハドソン湾会社始めての内陸部の交易所カンバーランドハウスを設立。

■マシュー・コッキング Matthew Cocking (1743-99)
ハドソン湾会社社員。1772年サスカチュワン川の分岐点までの内陸部を探検し、フランスの毛皮商人の動向を調査した。
彼の報告により、ハドソン湾会社は方針を改め、ハドソン湾岸のみにとどまらず内陸奥地まで進出するようになる。

■ピーター・ポンド Peter Pond (1740-1807)
アメリカの毛皮商人。1773-75年ミシシッピ上流部探検。1778年、アサバスカ湖周辺を探検し毛皮取引の地域を拡大した。探検した地域の多くの地図を作製している。
ノースウエスト会社の設立にかかわった。

■アレクサンダー・マッケンジー Alexander Mackenzie (1764-1820)
10才の時ニューヨークへ移住し、1787年にノースウエスト会社の社員となる。1789年マッケンジー川が北極海に注ぐことを発見。1793年ヨーロッパ人として始めてロッキー山脈を横断して太平洋に出た。1801年には「探検記」を記している。

■デビッド・トンプソン David Thompson (1770-1857)
カナダの大半を測量して地図を作った探検家。彼の踏査した距離は13万キロに及ぶ。
ハドソン湾会社の見習社員としてカナダに渡ってきたのは14歳の時であった。1797年にはライバルのノースウェスト会社に移り探検も本格化した。
当時の日記をもとに、晩年には「探検記」を記した。
雑誌「NATIONAL GEOGRAPHIC」の1996年5月号に詳しく取り上げらた。
「NATIONAL GEOGRAPHIC」の日本語サイトはこちらです。

■ルイスとクラーク Meriwether Lewis (1774-1809) William Clark (1770-1838)
共に軍人。ジェファーソン大統領の命により、フランスから獲得して新たにアメリカ領となったルイジアナ地方の探検隊を指揮した。
セントルイスからミズーリ川を遡り、コロンビア川を下降して太平洋岸に出た。周辺の測量調査を進めるとともに、インディアンの生活や野生生物、植物など詳細な調査を行った。
初めは1隻の大型の平底船で出発したが、川が浅く小さくなると、6隻のカヌーと2隻の喫水の浅いボートを使用したという。この探検は18ヶ月も要した。
彼らの辿ったルートは、後に西部開拓の道として利用されることとなる。

ホーム アーカイブ カヌーの歴史北アメリカインディアンとカヌー

Hiro Wooden Canoe Shop
Copyright(C)1997-2013.Hironori Nagase